2015年12月21日
自分の物語を生きる
私たちは、それぞれ自分の物語を生きています。
一昔前は、その物語はみんなの共通の認識、「こうあるべきだ」、「これが世間の常識だ」というすでに出来上がった物語をなぞっていく人も多かったのです。
たとえば、「長男だから親の仕事を継いで、家を継いで生きる」、「女性だから、夫や子どもにしたがって生きる」などの縛りみたいなものがあって、多くの人がそれにしたがって生きていました。
それは、ある意味では人の敷いてくれたレールの上を、自分の頭では考えることなく歩いていくだけの楽な作業だったでしょう。
でも今は違います。
自由に生きられるようになったかわりに、私たちは「自分の物語」をはっきりと自覚して生きていくことになりました。
それを「みんながやっているから」というような、無自覚な言葉をはくことは自分の人生に失礼だし、無責任だと思うのです。
「私はこうやっている」、「私はこう考えている」と自分の物語に責任を取っていくことは、自分の価値観をはっきりさせていくことにもつながっていくことにつながります。
自分の物語を大切に生きているのなら、そこから飛び出して生きていく自分の子どもの物語も、大切にできるのではないかなと思うのです。
「普通はこうするものなのに」といった無責任な言葉で、子どもの物語に踏み込んでいくこともなくなるでしょう。
それは今の中途半端な私たちには難しいことだと思います。
だけど、自由な時代を生き抜いていくためには大切なことではないでしょうか。
一昔前は、その物語はみんなの共通の認識、「こうあるべきだ」、「これが世間の常識だ」というすでに出来上がった物語をなぞっていく人も多かったのです。
たとえば、「長男だから親の仕事を継いで、家を継いで生きる」、「女性だから、夫や子どもにしたがって生きる」などの縛りみたいなものがあって、多くの人がそれにしたがって生きていました。
それは、ある意味では人の敷いてくれたレールの上を、自分の頭では考えることなく歩いていくだけの楽な作業だったでしょう。
でも今は違います。
自由に生きられるようになったかわりに、私たちは「自分の物語」をはっきりと自覚して生きていくことになりました。
それを「みんながやっているから」というような、無自覚な言葉をはくことは自分の人生に失礼だし、無責任だと思うのです。
「私はこうやっている」、「私はこう考えている」と自分の物語に責任を取っていくことは、自分の価値観をはっきりさせていくことにもつながっていくことにつながります。
自分の物語を大切に生きているのなら、そこから飛び出して生きていく自分の子どもの物語も、大切にできるのではないかなと思うのです。
「普通はこうするものなのに」といった無責任な言葉で、子どもの物語に踏み込んでいくこともなくなるでしょう。
それは今の中途半端な私たちには難しいことだと思います。
だけど、自由な時代を生き抜いていくためには大切なことではないでしょうか。
Posted by akatsuki at 22:14│Comments(0)